拝啓 デニステン様

天界の氷の滑りはいかがでしょうか? どうしてもと待ちきれず、こんなにも早くあなたのことを呼び寄せられた神々の前で、日々、滑り続けていることかと思います

 

あなたが旅立たれてから一年の月日が過ぎました

あなたに去られて、私たちは大変悲しかったのですが、今にして思えば、あなたはもう、地上でやり残したことはなかったのかもしれませんね

そんなこともあって、天界の神々の招きに、素直に応じて行ってしまわれたのでしょうか

大きな舞台にならないと力が出てこないあなたのことですから、神々の前、という地上には存在しない大きな舞台を求めて、旅立たれてしまったのかと思います

 

地上のこと、少しは気にかけてもらえていますか?

あなたの後輩のトゥルシンバエワ選手が、昨シーズンはワールドで2位に入りました。グランプリシリーズでは表彰台にも乗らないのに、ワールドでいきなり2位に入ってくるあたりが、同じ国の先輩であるあなたにそっくりだ、と思って見ていました

彼女は、もしかしたら、次の北京オリンピックの主役になるかもしれません。そして、そう思うのと同時に、北京オリンピックではなく、あなたと彼女が主役の、アルマトイオリンピックが見たかったな、と思ったものでした

現役の選手でありながら、オリンピックの招致活動の中心を担う、というのは大変なことだったと思います。もし、その夢がかなっていれば。あなたにとっても、この上ない大きな舞台として、私たちを楽しませてくれたのでしょう。その夢がかなわなかったこと、本当に、本当に、残念でした

 

あなたのことを最初に認識したのは、2009年の世界選手権だったかと思います。失礼ながら、正直な最初の感想は、え? カザフスタン? というものでした。私の知る限り、それ以前に、カザフスタンから出てきたトップスケーターというのは、男女ペアアイスダンス、通じていませんでした。そんななか、15歳で出てきたあなたが、ショート17位から、フリーはノーミス演技をして6位。このシーズンは、バンクーバーオリンピックの出場枠を賭けた試合であり、フリーの早い滑走順で高得点を出したあなたのスコアが、日本の三枠を危機に陥れたことを覚えています。結果的に、あなたが8位で、なんとかその上の6位と7位に入ったことでバンクーバーの日本の枠は三つになりましたが、ひやひやものでした。

あなたの演技自体は、リアルタイムではなく、後から見たものでしたが、なるほど、早い滑走順でも点が出る素晴らしいものでした。日本では、ラフマニノフの二番といえば、もう、浅田真央さんのもの、として認知されてしまっていますが、私にとっては、この時の、15歳のあなたが演じたラフマニノフの二番、というのも忘れ難いものになっています。女子ならともかく、男子の15歳が、これだけの演技をするのを見た記憶は、後にも先にも他にありません。

 

それから数年、若くて将来有望な10番手前後の選手、という位置づけだったあなたが、いきなりスターダムに上ってきたのは、やはりオリンピックの枠がかかった13年の世界選手権でした。正直に言って、ノーマークでした。

アーティストが演じたアーティスト、前編、ショートプログラム。自己ベストが80点にも満たない選手が、いきなり91点出すなんて思わないじゃないですか。鮮烈でした。クリーンな四回転トーループ。クリーンなトリプルアクセル。いえ、本当は、ジャンプなんかいらない。ただ滑っているだけで、ステップを踏むだけで、それだけで、アーティストでした。

アーティスト、後編、フリーも素晴らしかった。グランプリシリーズで表彰台に乗ったこともない。四大陸でも表彰台にかすらず、直前の試合は12位。世界選手権で最終グループに入ったこともない。自分だけじゃない、国として、世界で表彰台に乗った選手がいない。そんな状態で、二位で迎えたフリー。これは、羽生君表彰台に残ったかな、と思いました。

そんなシチュエーションで、だれも文句がつけられない、ほぼノーミスの演技。演技が終わって、これ、優勝、と思ったことを覚えています。公式記録では二位、ということになっていますが、私の中では、あなたが優勝でした

 

誰が名付けたか、あなたが、殿下、になったのは、この試合のころからだったでしょうか。大きな舞台に強く、気高く、気品漂うあなたの立ち姿、そして氷の上での演技、すべてがその名にふさわしいもの。

 

ソチオリンピックのシーズンは、ケガで苦しまれていたことを思い出します。それでもオリンピックには間に合わせてカザフスタンとして史上初の銅メダル。欲を言えば、パーフェクトな死の舞踏を見たかったのですが、万全ではない状態で、あの混戦の中抜けだして、きっちりメダルを持って行ったのはさすがだな、と思いました。

 

ただ、実は、私にとって、最も記憶に残っているあなたの演技は、世界選手権でのものでもオリンピックのものでもありません。2015年の四大陸選手権ショートプログラム、最終滑走で出てきたあなたは、ステップで満点もついたパーフェクトな演技でしたが、特に喜ぶでもなく、当たり前のことのように、大差をつけてトップに立ちました。

迎えたフリー。ヨーヨーマのシルクロードアンサンブル。シルクロードの中央部を占めるあなたの母国カザフスタン。隣国ウズベキスタンには、サマルカンドやヒヴァなど、都市型のシルクロード遺跡が目立つのですが、カザフスタンシルクロードのイメージは、雄大な草原です。シルクロードの旅、ヨーヨーマの旅。草原の国カザフスタンにふさわしいこの曲で演じたあなたは気高く美しかった。ショートに続いてフリーもステップ満点、他に比類なき滑りで圧勝したこの演技が、私にとって最も忘れ難いあなたの滑りでした。

 

この大会で、フランクキャロルコーチとあなたは、オリンピックを見据えて2月にピークを持ってくるようにしてるんだ、と述べていました。自然な流れでは、この次は平昌オリンピックでしたが、もしかしたらこの時点で、さらにその先のアルマトイオリンピックをイメージしているのではないか、そんなことも思っていました。

翌月の世界選手権は3位。これで3シーズン続けて世界大会の表彰台。あなたにとって、世界の表彰台は、もう、当たり前のものになっていました。

 

この年は、シーズンが終わった後が本番だったでしょうか

2022年 冬季、アルマトイオリンピック招致活動

あなたはその中心に立ち、なんどもプレゼンテーションを行いました。クアラルンプールでの最終プレゼンテーション。一世一代の大舞台。もしかしたら、オリンピックでの試合そのものよりも難しい場面だったのかもしれません。あなたは、話すことがプロの、お・も・て・な・し、な人ではありません。直前のオリンピック競技会で表彰台に乗ったアスリートです。それでもあなたのスピーチは、多くの人の胸を打つものでした。国の力で言えば中国が、北京が、圧倒的に上。それでも、あなたのスピーチで、アルマトイへ票を投じた委員が何人も増えたのではないか、とも聞きます

44対40 4票差。当初予想されていたのと比べると、驚くくらいの僅差でしたが、あなたは、アルマトイは、カザフスタンは、敗れました

負けた後の態度も潔いものでした。そう、文字通り、殿下、の通り名がふさわしい、潔いものでした。コンパクトオリンピック、というIOCが打ち出し始めたコンセプトからしたら、北京よりも断然アルマトイじゃないか。ただの外野である私の方が取り乱してしまうのに、あきらめずにまた挑戦すればいい、と落ち着いた調子で語ったと聞きます。

残念ながら、アルマトイは、その次、2026年のオリンピック招致活動は行いませんでした。その時点で、あなたが、母国のオリンピックに出る可能性はなくなった、と言えるでしょう。

あなたが主役の、2022年アルマトイオリンピック。それが見られなかったことが、大変残念です。

 

あなたにとっては、その段階で、もう、十分な大きな舞台、というのはなくなってしまったのでしょうか。2017年、母国での初めての総合競技会であるユニバーシアードでは、責任を果たすように圧勝しましたが、それ以外の場面では、もう、あなたの本当のレベルの滑りを見せてもらうことはできませんでした

 

そして、あの日

一年前の今日

 

神の求めに応じて、あなたは、地上から去って行かれました

 

 

神に選ばれたあなたが、地上へ帰ってくることを願っても、叶うことはないのでしょう

それはわかっていても、願わずにはいられない

あなたの滑るラフマニノフが、アーティストが、ヨーヨーマが、また、もう一度、見たい

願っても、叶うことのない夢

私たちは、あなたが残してくれた映像で、振り返ることしかできません

 

あなたの新しいプログラムは、天界で滑るプログラムはどんなものなのでしょう

既に天界に居を移した往年の振付師に、新プログラムを付けてもらっているのか、あるいは、自分でつけているのか

私たちが見ることはかなわないそのプログラムが、天界の神々を楽しませていることでしょう

 

これからの、あなたの、長い天界での生活が、様々な美しいプログラムで彩られていくことを、地上よりささやかながら、お祈り申し上げます

 

敬具