オリンピック代表になる条件(女子シングル編) 終わり

オリンピックの代表に日本の女子シングル選手がなる条件のお話の最終話です

 

○前の大会の選考会に当たる全日本で、フリー最終グループに入って世界ジュニアに出た選手が、必ず一人代表になる

 

これ、日本女子が21世紀になって繋いできた系譜です。オリンピックを目指す選手の最後の戦いの強烈な緊張感で覆われた、最終グループ6分間練習を経験したジュニアの選手が、その次のオリンピックに出ていく。

ソルトレイクシティオリンピックの代表争いの2001年、村主/荒川両選手に次いでショートフリー共に3位で表彰台に乗った安藤美姫さんがそのシーズンは世界ジュニアに出て3位。次の06年トリノの代表となりました。

トリノの代表選考会も有力5選手の激突で日本のフィギュア界の果てしないレベルアップを感じさせられましたが、その中で、年齢制限によりただ一人代表争いと無関係な浅田真央さんがショート4位からの2位表彰台。世界ジュニアでも2位に入りました。その後の活躍はだれもが知るもので、10年14年とオリンピック代表になっています。

バンクーバーの代表選考の09年は三枠目を中野友加里さんと鈴木明子さんが激しく争い、結果的にわずか0.17ポイントの差で鈴木明子さんが上に出て決着がつき、騒然とする会場に出てきた最終滑走村上佳菜子さん。大会終了後、もういやだ、二度と出たくない、こんな空気いやだ、と述べた緊張感の中、スタート位置を間違えるなどしながらもしっかりした演技で5位。そんな全日本と比べて緊張感も軽かったのか世界ジュニアでは浅田真央さん以来の金メダルを獲得。14年ソチの代表となりました。

ソチに向けての代表選考は、前年に表彰台に乗っている宮原知子選手が、ベテラン鈴木明子さんと三枠目を争う構図でしたが、ここは鈴木明子さんが初優勝で貫録勝ち。4位に終わった宮原知子選手は世界ジュニアにまわり、ラジオノワ、サハノビッチ、メドベージェワという旧ロシア3天才に次ぐ4位に入りました。その後4年、日本勢相手には全日本だけでなく国際大会も含めて全勝して平昌の代表となります。

その平昌の代表選考会では紀平梨花選手が、ショートでルッツが抜けて零点となりながらも5位で最終グループに入り、フリーでは浅田真央さん以来、2本のトリプルアクセルを決めて3位表彰台に乗りました。

 

この系譜に乗り切れなかったのが1例だけあって、06年の中野友加里さん。01年全日本ではショート4位と好位置につけてフリー最終グループ入りで結果は5位。世界ジュニアの代表となって2位表彰台に乗っています。中野友加里さんはいろいろな条件見ると、06年か10年か、少なくともどちらかの代表になっていてもおかしくないではなくて、なっていないとおかしくないのですが、どちらも4番手格で落選していました。

私、大変なんですよ、すぐ上には荒川さん村主さん、世界のトップで戦う人たちがいて、下には美姫とか真央とか天才がいて、その間に挟まれて、と述べていた中野友加里さんが、最後の最後の試合で、オリンピックの代表を争ったのは上でも下でもなく同じ85年生まれの鈴木明子さんだった、というようなことがオリンピックの代表選考のたびに思い出されます。

 

次回に向けてはこういう、フリー最終グループに入って世界ジュニアへ進む、というジュニア選手がいるのが良いのですが、候補はいますでしょうか? ジュニア残留を表明した吉田陽菜選手あたりが、ショートでトリプルアクセルを決めてくると、これにあたる選手になってくるかもしれません。あるいは、英才教育木下アカデミーから今シーズンジュニアに上がってくる柴山歩選手などが、ジュニア一年目にしてそこまでの躍進を見せる、という展開もあり得るでしょうか?  松生理乃選手が代表になれなかった場合、14年ソチシーズンの宮原知子選手と同じように世界ジュニアへ回るというコースになるかもしれません

四回転を決めたという島田麻央選手は、まだ来シーズンもノービスAなので、全日本への出場は、浅田真央さん以来の超法規的措置でも取らない限りありません。

 

以上、三回に分けて、女子シングルで日本代表になるための、それまでの実績、あるいは、実績があってもなれない例、といったものを見てきました