書評 スポーツの資金と財務 武藤泰明

スポーツの資金と財務

単行本 286ページ

 

スポーツには金がかかる

試合を運営するのにも金がかかるし、選手を集めるにも金がかかる

金さえあれば強くなれる、というほど単純な話でもないが、お金はあった方がいいだろう

 

プロスポーツと金にまつわる話である

 

ただ、本書で取り上げられているのは、プロスポーツ全般、というほど広くはなくて、主にサッカー、時々その他、という程度の広がりしかない

現実問題として、情報開示されていない分野については語りようがないのだろう

情報開示が一番進んでいる世界がサッカー、ということで、話の中心がサッカーになっている感がある

 

プロスポーツの収益源というのは、マイクロコングロマリットである、という指摘が本書の序盤にされているのであるが、その辺は、言われてみれば、という感じであった

確かに、収益規模の割に、収益源は多様である

入場料収入、放映権収入、スポンサー収入、ライセンス料、移籍金、などなどなど

日本のプロスポーツは、収益規模としては中小企業に毛が生えた程度でしかない割に、収益源が多数あって、マネジメントは大変だというのは確かにそうなのだろう

 

途中で、放映権料をいかに計算するか、という章があるのであるが、その中で放映権料の計算もさることながら、Jリーグの場合、地上波では放映するに値する時間帯がない、という指摘もなかなか興味深いものだった

この本が書かれた時期(2013~14年ころ)ではスカイパーフェクTVが、現在ではDAZNが放映権を主に持っているわけであるが、その選択は買う側も売る側も妥当だった、ということになる

また、それとは別の部分であったが、大相撲は18時に終了することがNHKで放映され続ける重要な理由だろう、という指摘も、唸らされるものだった

確かに、相撲が21時終わりだとした場合、NHKが全場所全日放映できるか? というとかなり疑問符が付く

 

そう考えた場合、期待される視聴率がそれほど高くない時間帯で、それなりの放映権料をもらって放映してもらうように、試合時間を設定する、という戦略がスポーツ側にはあってもいいし、実際、あるのだろう

ゴルフ、というのが日曜昼間の中途半端な時間によく見かけるのは、その辺を考えてやっているのか、競技の特性上そうなるのか、微妙なところのような気がするものの、うまくやっている、と言えるのかもしれない

そのほかにも、スキージャンプやマラソン、駅伝、といったあたりがそういう日曜の昼下がりに見かけるだろうか。競馬はちょっと違うのだろうけれど

そのあたりの時間の期待視聴率であれば、放映してもらえる力のあるコンテンツとなる競技というのも、いくらかほかにもありそうな印象なのであるがどうだろうか

問題は、意外と安く上がるバラエティバングの制作料との比較、という指摘が本書内でもされていたりする。他にも、もっと安く上がる再放送ドラマや、再放送ドキュメントなんてところとの比較もあるのだろう。

それでもカーリング、バドミントン、ラグビー、バスケットボールあたりならその辺の時間帯で狙えそうな気がするのだけど、ダメだろうか。国際試合の方がコンテンツとしての価値は高いのだけど、国際試合の場合は競技の時間がネックになる。そのあたりのバランスの取れるコンテンツがあればよいのだけど

 

欧州サッカーの繁栄はヨーロッパチャンピオンズリーグによるものであり、Jリーグがそれと比べて十分の一程度の収益規模であり、リーグ戦が戦国模様なのはアジアチャンピオンズリーグの価値が低いからである、というのは、割とわかっていたことではあるけれど、数字で示されると、やはりうならされてしまう

なんとかならないものかアジアチャンピオンズリーグ・・・

ACL自体の価値が上がってくれるためには、中国とアセアンでの盛り上がりがおそらく重要なのだろう

アセアンは、タイ以外はほとんどチームとして出てくることができない

この辺がまず課題で、そこをクリアしてもらえると、アセアン全体から放映権料などが得られることが考えられる

そうなってくれば、収益面でかなりのインパクトが出て、その果実がJリーグにも回ってくるのだけど、そこに至るまではまだまだ長い道のりであり、いまはまだ、名誉プラス、クラブワールドカップへの切符、というところの価値しかない

 

純粋にスポーツを楽しみたい、という感覚の人からしたら、事業としてのスポーツであったり、大会の収益であったり、そういったものというのは、純粋さを薄めてしまう邪魔なものであるのかもしれない

 

しかしながら、周辺環境含めた全体感を見ながら、トータルに物事を楽しみたい、という感覚の人間にとっては、スポーツに関しても事業としての側面、を見る目を養うことのできるこういった書籍は貴重なものであった