主な戦績を記します
基本的に国内は全日本レベルの大会のみです。国際大会はチャレンジャーシリーズ以上の格のものを載せてあります。
Season | Event | Pl | Total | SP | FS |
07-08 | 全日本ノービスB | 1 | 66.03 | 66.03 | |
08-09 | 全日本ノービスB | 1 | 63.38 | 63.38 | |
09-10 | 全日本ノービスA | 4 | 75.25 | 75.25 | |
09-10 | 全日本ジュニア | 4 | 130.99 | 48.32 | 82.67 |
10-11 | 全日本ノービスA | 2 | 83.96 | 83.96 | |
10-11 | 全日本ジュニア | 4 | 140.23 | 43.74 | 96.49 |
11-12 | 全日本ジュニア | 1 | 172.17 | 56.76 | 115.41 |
11-12 | 全日本選手権 | 6 | 163.85 | 47.06 | 116.79 |
12-13 | World Junior | 4 | 157.78 | 52.97 | 104.81 |
12-13 | 全日本ジュニア | 1 | 172.68 | 61.31 | 111.37 |
12-13 | JGP Final | 5 | 157.74 | 49.60 | 108.14 |
12-13 | 全日本選手権 | 3 | 180.55 | 60.19 | 120.36 |
12-13 | World Junior | 7 | 147.42 | 52.16 | 95.26 |
13-14 | NHK Trophy | 5 | 170.21 | 58.39 | 111.82 |
13-14 | Rostelecom Cup | 5 | 165.76 | 56.57 | 109.19 |
13-14 | 全日本選手権 | 4 | 191.58 | 66.52 | 125.06 |
13-14 | Four Continents | 2 | 186.53 | 60.27 | 126.26 |
13-14 | World Junior | 4 | 177.69 | 63.57 | 114.12 |
14-15 | Lombardia Trophy | 1 | 183.90 | 58.12 | 125.78 |
14-15 | Skate Canada | 3 | 181.75 | 60.22 | 121.53 |
14-15 | NHK Trophy | 3 | 179.02 | 60.69 | 118.33 |
14-15 | 全日本選手権 | 1 | 195.60 | 64.48 | 131.12 |
14-15 | Four Continents | 2 | 181.59 | 64.84 | 116.75 |
14-15 | World Championships | 2 | 193.60 | 67.02 | 126.58 |
15-16 | US International | 1 | 183.64 | 63.48 | 120.16 |
15-16 | Skate America | 3 | 188.07 | 65.12 | 122.95 |
15-16 | NHK Trophy | 1 | 203.11 | 69.53 | 133.58 |
15-16 | Grand Prix Final | 2 | 208.85 | 68.76 | 140.09 |
15-16 | 全日本選手権 | 1 | 212.83 | 73.24 | 139.59 |
15-16 | Four Continents | 1 | 214.91 | 72.48 | 142.43 |
15-16 | World Championships | 5 | 210.61 | 70.72 | 139.89 |
16-17 | US International | 1 | 206.75 | 70.09 | 136.66 |
16-17 | Skate Canada | 3 | 192.08 | 65.24 | 126.84 |
16-17 | NHK Trophy | 2 | 198.00 | 64.20 | 133.80 |
16-17 | Grand Prix Final | 2 | 218.33 | 74.64 | 143.69 |
16-17 | 全日本選手権 | 1 | 214.87 | 76.49 | 138.38 |
17-18 | NHK Trophy | 5 | 191.80 | 65.05 | 126.75 |
17-18 | Skate America | 1 | 214.03 | 70.72 | 143.31 |
17-18 | Grand Prix Final | 5 | 213.49 | 74.61 | 138.88 |
17-18 | 全日本選手権 | 1 | 220.39 | 73.23 | 147.16 |
17-18 | Four Continents | 3 | 207.02 | 71.74 | 135.28 |
17-18 | Olympic Team SP | 4 | 68.95 | 68.95 | |
17-18 | Olympic Games | 4 | 222.38 | 75.94 | 146.44 |
17-18 | World Championships | 3 | 210.08 | 74.36 | 135.72 |
18-19 | US International | 1 | 201.23 | 67.53 | 133.70 |
18-19 | Skate America | 1 | 219.71 | 73.86 | 145.85 |
18-19 | NHK Trophy | 2 | 219.47 | 76.08 | 143.39 |
18-19 | Grand Prix Final | 6 | 201.31 | 67.52 | 133.79 |
18-19 | 全日本選手権 | 3 | 223.34 | 76.76 | 146.58 |
18-19 | World Championships | 6 | 215.95 | 70.60 | 145.35 |
19-20 | US International | 1 | 204.30 | 74.16 | 130.14 |
19-20 | Cup of China | 2 | 211.18 | 68.91 | 142.27 |
19-20 | Rostelecom Cup | 4 | 192.42 | 63.09 | 129.33 |
19-20 | 全日本選手権 | 4 | 191.43 | 70.11 | 121.32 |
20-21 | 全日本選手権 | 3 | 209.75 | 66.48 | 143.27 |
20-21 | World Championships | 19 | 172.30 | 59.99 | 112.31 |
21-22 | Skate America | 7 | 200.51 | 66.36 | 134.15 |
21-22 | Grand Prix Torino | 5 | 209.57 | 70.85 | 138.72 |
21-22 | 全日本選手権 | 5 | 206.51 | 73.76 | 132.75 |
濱田先生は、子供のころから覚えが悪い、それを努力で何とかしてきた、と言っていた記憶がありますが、宮原知子さんは子供のころから抜きんでた存在でした。全日本ノービスBで2連覇。これは女子では浅田真央さんと宮原知子さんの2人だけです。全日本ジュニアはノービスからの推薦出場の2回は4位、ジュニアに上がってからは2連覇を果たしました。最初から世代トップの位置にいた、という選手です。
ジュニアグランプリシリーズは載せていませんが、4試合出て表彰台3回で優勝1回。ファイナルにも進出しています。世界ジュニアは3回出て4位7位4位。表彰台には届かず。この3回の優勝者は、リプニツカヤ、ラジオノワ、ラジオノワ。宮原さんはちょうど、ロシアに天才少女が生まれ始めた時代にトップで戦っていた選手、ということになります。宮原知子さんは1998年3月生まれ。ラジオノワさんは99年1月、リプニツカヤさんは98年6月、ポゴリラヤさんが98年4月のそれぞれ生まれ。そういった世代でした。
全日本にはジュニア1年目の2011年から出場。ショートで15位と大きく出遅れてのフリー。ほぼノーミスの演技で全体3位。技術点だけなら2位に6点以上の差をつけてトップのスコアで総合6位にまで順位をあげ、鮮烈な全日本デビューを果たします。結局11回出た全日本でこの6位が一番低い順位であり、フリー最終グループに入れなかったのもこの最初の1回だけでした。安定して日本のトップで滑り続けたことの証です。
翌12-13シーズン、ジュニアグランプリファイナルに進出し全日本では前シーズンの世界フィギュアで3位表彰台の鈴木明子さんを押しのけて表彰台に上るなど好調に進んだシーズンでしたが、最後の世界ジュニア。ショートではルッツにeがつき、コンビネーション含め3つの3回転すべてがアンダーローテーション。フリーではルッツ2つとフリップにeが付けられ7つ跳んだ3回転ジャンプのうち6つがアンダーローテーション。7位という順位もありますが、それ以上にこの回転不足の判定に、帰国後も体調を崩すくらいに悩み落ち込んだと聞きます。回転不足との戦い、というのが宮原さんの歴史の大きな部分を占めることになっていきます。
シニアに上がった13-14シーズンはソチオリンピックを賭けた勝負のシーズン。前年の全日本表彰台ですので有力候補の一人として挑んだシーズンでしたが、13年中には結果を出しきれませんでした。初参戦のグランプリシリーズは2戦とも5位。全日本では191.58とこの時点でのパーソナルベストを出しましたが当時の名古屋3強に届かず惜しくも4位。ソチオリンピックの出場は逃します。このとき15歳。ロシアでは15歳が最強とされますが、日本ではもう少し上の年齢、17から19歳あたりでオリンピックへ出ることが多く、15歳での出場は98年長野オリンピックの荒川静香さんまで遡らないとありません。まだ少し早かった、という形でした。
その代わり、と言っていいのか、14年の四大陸選手権に派遣されます。フリーのポエタ。私視点では優勝でしたが、シニアの初チャンピオンシップは2位表彰台となります。そして、翌月ソチオリンピック終了。そこから宮原知子時代が始まります。
14,15,16,17 全日本4連覇。ソチオリンピック終了後、平昌オリンピック代表に決まる全日本選手権までの4年間、ショートフリー2本を滑る国内外のすべての試合で対日本人選手無敗。選手層の薄かった20世紀の日本フィギュア界ではありましたが、今世紀に入ってから4年間無敗というのは他にありません。文字通り、一時代を築きました。
14-15シーズンは飛躍の年。次の日本のエースは誰か? というのが問われたシーズン。グランプリシリーズ2試合で表彰台に上がります。そして全日本。ショート2位からのフリー最終滑走。本郷理華カルメンvs宮原知子ミスサイゴン。当時話題になりました濱田組伝家の宝刀、1.1倍ボーナスのダブルアクセル-トリプルトーループ2発。実はダブルアクセルでアンダーローテーション入っていたのですが、それでも技術点、演技構成点どちらもトップで逆転優勝を果たしました。
シーズン後半四大陸選手権では前年に続いて2位表彰台。そして世界選手権。何とか3枠維持を、と皆で祈っていたらどうしてどうして、ショートを3位で折り返すと、ゴールドワグナー、アメリカ勢がフリーで猛烈な追い上げを見せた後の20番滑走。中盤のルッツで転倒し心配されましたが、今度は2A+3T 2本を回転不足なくきっちり決めてこの時点で首位に立ちます。ミスサイゴンはアメリカには負けない。そしてショート2位のラジオノワがスコア伸びず、失礼ながらまさかの銀メダルとなりました。上位選手控室、ソファで戯れるトゥクタミシェワラジオノワ二人を前に、ちょっと居心地悪そうに部活の県大会みたいな雰囲気で座っている宮原知子さんが印象的な試合でした。
ワールドメダリストとなっての15-16シーズンは浅田真央カムバックのシーズン。花試合ジャパンオープンではそれこそ浅田真央さんに花を持たせる形になりましたが、本当の直接対決はまずNHK杯で訪れました。復帰戦中国杯でトリプルアクセル2本を決めて優勝した浅田真央vsグランプリシリーズ最高位がまだ3位の宮原知子。日本のエースはどちらか? やっぱり日本は浅田真央なのか? そう問われたこの直接対決で初の200点超えで2位以下に20点差をつけて圧勝。グランプリ初優勝で初のファイナル進出を果たします。グランプリファイナルではvs浅田真央2回戦。ここでは208点までスコアを伸ばし2位表彰台。さらに全日本ではただ一人210点にまで乗せ他を寄せ付けず2連覇を果たします。この隔週での3連戦で浅田真央さんに3連勝したところで、宮原知子時代が固まったように見えました。
そして、四大陸選手権初優勝。世界選手権は5位に終わりましたが、世界の宮原知子を印象付けるシーズンでした。
オリンピックへ向けて死角なし、という感じで入った16-17シーズンはグランプリファイナルで218点まで出しての2年連続2位、全日本は15点差付けての3連覇。さあ、世界選手権でメドベージェワさんへの挑戦権を持っているのは彼女、と見られている中でケガ、長期離脱に見舞われます。その上オリンピック枠は2に削られ試練が押し寄せます。
復帰までにはだいぶ時間がかかりました。濱田コーチは5年後の北京オリンピックを目指しましょうと口にしたと聞きます。9月10月のチャレンジャーシリーズには間に合わず、復帰は11月のNHK杯に。ここでは190点台で5位。まずまずの復帰戦を経て2週間後のスケートアメリカ。この試合で目覚めた二人、ブレイディテネル選手と坂本花織選手、この二人を両脇に従え、214.03のスコアでグランプリシリーズ2勝目を飾ります。この結果、ケガ明けにもかかわらず補欠繰上りながらグランプリファイナルにも進む形になりました。
そんな形で2週間おきの3連戦を経て、さらに2週間後に運命の全日本選手権。ケガ明けからの4連戦というのが心配されましたが、結果的には220.39 ついに220点に乗せて4連覇を果たし、念願のオリンピック代表の椅子に座りました。
夢の舞台平昌オリンピック。ショートはSAYURI、フリーは蝶々夫人。日本代表としてこのシーズンに和のプログラムを合わせてきたのでしょうか。どちらも素晴らしい出来でパーソナルベストを出しますが総合4位。あと一歩メダルには届きませんでした。
そのままの流れで世界選手権に出場。疲れもあったでしょうか、フリーはそれほどいい出来ではなかったですがそれでも3位、2度目のワールド表彰台に上がります。日本女子で世界選手権のメダルを複数手に入れたのは彼女で5人目です。
新しい4年が始まり、新しい時代が始まります。平昌オリンピックは、ある意味では日本の宮原知子時代の終焉でもありました。平昌選考会の全日本では2位に坂本花織選手、そして3位にはジュニアから紀平梨花選手が入ってきていました。次の北京オリンピックへ向けて、しばらく紀平梨花選手を筆頭とするこの3人の時代になっていきます。
18-19シーズンはまず初戦、USインターナショナルを楽勝し、スケートアメリカでは前年に続き坂本花織選手を2位に従え優勝。グランプリ3勝目を飾ります。そして帰国。日本のナンバーワンとしてNHK杯に臨むわけですが、ここで出てきたのがシニアのグランプリシリーズデビュー戦の紀平梨花選手でした。この年のNHK杯はトゥクタミシェワ選手を含め3人のハイレベルかつ僅差な歴史に残ると言える大会だったと思います。フリー、名作Beautiful Stormでトリプルアクセル2本を決めこのシーズン全体でも圧倒的最高点となる技術点で猛烈な追い上げを見せた紀平梨花選手を、最終滑走宮原知子がブエノスアイレスの冬で迎え撃つ形。トリプルアクセル2本には勝ち切れず、2位に終わりました。かつての浅田真央さんに勝って日本の女王交代を印象付けたNHK杯を思わせる形でもありました。
グランプリ2戦、優勝と2位で、結果的に最後になるグランプリファイナル進出。3vs3の日露決戦の一翼を担いました。なお、このグランプリファイナルのフリー最後の要素レイバックスピンで、9人の全ジャッジが+5評価を付ける満点評価を得ます。GOEがプラスマイナス5のルールになって以降、世界全体で初の全ジャッジ+5の満点評価を彼女が得ました。
5連覇を賭けた全日本はショートでトップに立ちながらフリーでフリップが2回転になるミスが痛く、結果3位に終わります。この試合も上位がハイレベルかつ僅差で全日本の歴史に残る名勝負でした。勝ったのは坂本花織選手。素直に紀平選手が独走することは許さない日本の層の厚さも垣間見えました。
世界選手権はショートで回転不足が出た出遅れが痛く6位に終わりました。
19-20シーズンから下り坂に入ってしまったかな、という印象でした。このシーズンはトゥルソワ、シェルバコワ、コストルナヤ、エテリ3人組がシニアに上がったシーズンです。また、このシーズンからカナダに渡りリーバーケル先生の指導を受けるようになりました。中国杯で2位に入りましたがロステレコム杯では4位でファイナル進出ならず。全日本はジュニアの川畑選手に上へ行かれて4位。6シーズンぶりに表彰台を逃します。それでも世界選手権の代表には選ばれたのですが、今度はコロナで世界選手権が中止に終わります。
翌20-21シーズンはコロナ真っ盛り、グランプリシリーズも地元民のみのローカル試合となりこの時点でカナダ在住だったのですが、スケートカナダは中止。出る試合がないまま全日本に臨むことになります。この試合は3位で表彰台復帰。この時期のいつものメンバー、紀平-坂本-宮原組で世界選手権に進みます。ただ、コロナによる試合感の欠落が響いてしまったでしょうか、この世界選手権では19位。シニアに上がってから見たこともないスコア、見たこともない悪い出来でした。
21-22 北京オリンピックシーズン。コロナは続きますが試合は開催されるようになってきました。グランプリ2戦は7位と5位。順位的にはいまいちですが、それでも2戦とも200点超え、2試合目のトリノでは209.57と全日本以前でこのシーズンの日本勢では3位のスコアを出しています。十分に北京オリンピックを狙える位置にいました。
運命の全日本。ショートは回転不足がありつつも4位で折り返します。フリーは結局q2つとアンダーローテーション3つ。回転不足に泣いてトータル206.51 3位表彰台までは3.14差。実績考えれば表彰台に乗っていれば間違いなく代表でしたから、わずかな差、特にルッツで回転不足の転倒が痛かったです。1つのジャンプが運命を分けた形になりました。
結果的にこの全日本が現役最後の試合となりました。
2022年3月26日引退表明。
○満点評価要素
Season | Event | Elements | BaseValue | GOE | Scores | AveGOE | ||
15-16 | NHK Trophy | FS | 12 | LSp4 | 2.70 | 1.50 | 4.20 | 2.889 |
15-16 | Grand Prix Final | FS | 12 | LSp4 | 2.70 | 1.50 | 4.20 | 2.889 |
15-16 | 全日本選手権 | FS | 12 | LSp4 | 2.70 | 1.50 | 4.20 | 3.000 |
15-16 | Four Continents | FS | 12 | LSp4 | 2.70 | 1.50 | 4.20 | 2.889 |
15-16 | World Championships | SP | 2 | LSp4 | 2.70 | 1.50 | 4.20 | 3.000 |
15-16 | World Championships | FS | 12 | LSp4 | 2.70 | 1.50 | 4.20 | 3.000 |
16-17 | Skate Canada | SP | 7 | LSp4 | 2.70 | 1.50 | 4.20 | 3.000 |
16-17 | Grand Prix Final | SP | 7 | LSp4 | 2.70 | 1.50 | 4.20 | 2.889 |
16-17 | 全日本選手権 | SP | 7 | LSp4 | 2.70 | 1.50 | 4.20 | 2.889 |
16-17 | 全日本選手権 | FS | 5 | StSq4 | 3.90 | 2.10 | 6.00 | 3.000 |
16-17 | 全日本選手権 | FS | 6 | LSp4 | 2.70 | 1.50 | 4.20 | 2.889 |
17-18 | NHK Trophy | FS | 12 | LSp4 | 2.70 | 1.50 | 4.20 | 2.889 |
17-18 | Skate America | FS | 12 | LSp4 | 2.70 | 1.50 | 4.20 | 2.889 |
17-18 | 全日本選手権 | FS | 10 | ChSq1 | 2.00 | 2.10 | 4.10 | 2.889 |
17-18 | 全日本選手権 | FS | 12 | LSp4 | 2.70 | 1.50 | 4.20 | 3.000 |
17-18 | Olympic Games | FS | 12 | LSp4 | 2.70 | 1.50 | 4.20 | 2.889 |
17-18 | World Championships | FS | 12 | LSp4 | 2.70 | 1.50 | 4.20 | 2.889 |
18-19 | NHK Trophy | SP | 7 | LSp4 | 2.70 | 1.35 | 4.05 | 4.889 |
18-19 | Grand Prix Final | FS | 12 | LSp4 | 2.70 | 1.35 | 4.05 | 5.000 |
18-19 | 全日本選手権 | FS | 12 | LSp4 | 2.70 | 1.35 | 4.05 | 5.000 |
20-21 | 全日本選手権 | FS | 11 | StSq4 | 3.90 | 1.95 | 5.85 | 4.889 |
宮原知子さんはGOE±3時代に国際大会で9回、全日本で5回、満点評価を受け、±5時代になってからでも国際大会で2回、全日本で2回、満点評価を受けています。載せていませんがこれらの他にJapan OpenやTeam Challenge Cupでも満点要素はありました。特に定評があるのがレイバックスピン。一時期は満点取るのが普通、くらいの高い評価でした。他に、コレオシークエンス、ステップシークエンスでも全日本で満点があります。満点というのはなかなか出るものではありません。
記録よりも記憶に残る選手、という印象が特に現役の後半にはついてきていましたが、実際には記録にもかなり残っている選手でした。一瞬のきらめきもありましたが、それだけでなく、長く日本のトップ、世界の上位で戦い続けた選手。オリンピック選考会に絡んだのは3回。あと1年生まれが早ければソチに、あと1年遅ければ北京に、それぞれ代表に選ばれてオリンピックに2回出ることが出来ていたかもしれない。そう感じさせられましたが、結局は平昌の1回に終わりました。これもめぐりあわせでしょうか。それにしても、この功労者に、団体戦でもいいからオリンピックのメダルを持たせてあげたかった。そう思います。
長い間お疲れさまでした。
グランプリシリーズ出場16回 歴代15位タイ 日本人歴代4位タイ
グランプリシリーズ優勝3回 歴代17位タイ 日本人歴代3位
グランプリシリーズ表彰台10回 歴代12位タイ 日本人歴代5位タイ
グランプリファイナル出場4回 歴代8位タイ 日本人歴代3位タイ
グランプリファイナル表彰台2回 歴代9位タイ 日本人歴代3位タイ
世界選手権表彰台2回 日本人5人目
全日本4連覇 歴代8人目 今世紀2人目